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カーター元米大統領、自宅でホスピス緩和ケアを 98歳
2023年2月19日
Jimmy Carter画像提供,GETTY IMAGES
ジミー・カーター元米大統領(98)が設立した非営利組織カーター・センターは18日、カーター氏が自宅でホスピス・ケアを受けることにしたと発表した。これまでのように治療を受けるのではなく、自宅で「残された時間を家族と過ごす」ことにしたという。
カーター・センターは声明で、「短期の入院を繰り返した後、ジミー・カーター元アメリカ大統領は本日、残された時間を自宅で家族と過ごし、引き続き医療の介入を受ける代わりに、ホスピス・ケアを受けることにした。家族と医療チームの全面的な支援を受けている。カーター家はこの時期、プライバシーの尊重をお願いしており、元大統領を尊敬する多くの人が心配してくれていることに感謝している」と述べた。
カーター氏は民主党候補として1976年の大統領選で当選し、1977年から1981年までアメリカ大統領を1期務めた。再選はロナルド・レーガン氏に阻まれた。存命の米大統領経験者として最年長。
近年では、悪性黒色腫(メラノーマ)が肝臓と脳に転移するなど、健康が悪化していた。
元大統領の孫で、ジョージア州議会上院の元議員のジェイソン・カーター氏はツイッターで、「きのう祖父母に会いました。2人とも穏やかで、いつも通り2人の家は愛情にあふれていました。皆さんの温かい言葉に感謝します」と書いた。
カーター元大統領と妻ロザリンさんは1946年に結婚。夫妻はともにジョージア州プレインズ出身。子供は4人いる。
1924年10月に生まれたカーター氏は、1962年に州議会上院に初当選し、1971年に州知事になった。その5年後、共和党所属の現職ジェラルド・フォード大統領を破り、第39代大統領となった。
しかし、石油危機による物価上昇と失業率悪化で国民が苦しむ中、緊縮財政の実行に苦労した。
カーター政権の大きな成果のひとつが、1978年のキャンプ・デイヴィッド合意の仲介だった。ワシントン近郊の大統領別荘キャンプ・デイヴィッドにエジプトのアンワル・サダト大統領とイスラエルのメナヘム・ベギン首相を招き、協議の場を提供したことから、エジプトはイスラエルを承認。翌年のエジプト・イスラエル平和条約締結に至った。
1977年にはパナマ運河のパナマ返還に同意し、1999年の返還を約束した条約を締結した。
1979年11月のイラン革命で、アメリカ人66人がテヘランの大使館で人質になると、カーター政権はイランとの国交を断絶し、食糧品と医薬品を除く全品目の対イラン禁輸などの制裁を科した。
アメリカ国内ではカーター氏が弱腰すぎると批判が高まり、大使館人質事件が444日にわたり続く間、大統領支持率は下がり続けた。1980年4月に人質救出作戦が失敗し、輸送機の墜落から米兵8人が死亡したことから、カーター氏の支持率はさらに下落した。
イランの革命政権はその後、レーガン大統領就任まで人質の解放を遅らせた。
ホワイトハウスを離れて以降、カーター氏は非営利組織カーター・センターを拠点に、人道支援活動を世界各地で展開した。
1994年にはハイチで軍事クーデターを起こした軍事政権が、カーター氏率いる交渉団の仲介を経て退陣。1992年に始まったボスニア・ヘルツェゴビナ紛争では、カーター氏の仲介により、1995年1月1日から4カ月の停戦が実現した。
それ以外にも人権支援活動が国際的に高く評価され、2002年にはノーベル平和賞を受賞した。
南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領らとともに、各国元首脳の「長老たち(The Elders)」を結成し、平和や人権のために活動を続け、90歳代になるまで世界各地を訪れた。世界各地で住居の問題に取り組む非営利組織「ハビタット・フォー・ヒューマニティー」の活動にも参加し、住まいづくりに参加した。
しかし近年では健康問題に悩まされ、2015年8月には肝臓がんの摘出手術を受けた。翌年には実験的な治療薬で、がん細胞が消滅したと発表した。
「次に何がきても、まったく落ち着いて受け止められる」、「わくわくする、冒険のような、ありがたい人生を送ってきた」と、カーター氏は2015年に述べた。
(英語記事 Former US President Jimmy Carter to receive hospice care)