昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - 印刷用バージョン +- 長寿者研究フォーラム (http://oldestpeopleforum.jp/MyBB) +-- フォーラム: 日本の長寿者エリア (http://oldestpeopleforum.jp/MyBB/forumdisplay.php?fid=92) +--- フォーラム: 日本の長寿者(議論・ランキング・統計関連及びその他全般) (http://oldestpeopleforum.jp/MyBB/forumdisplay.php?fid=3) +--- スレッド: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 (/showthread.php?tid=8) |
RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - R.T. - 09-19-2018 (09-14-2018, 23:12)R.T. : 山梨県> 山梨県> 島村うらのさんと田中いそのさんの間に山梨県内最高齢者になられている可能性がある長寿者 →石塚りん 1881.3.5 - 1982/1983:甲府市 (日本百歳人名鑑1983年版、252頁) 徳島県> 笹木ミツヱ 1884.6.12生まれ 同氏と藤井ハギノさんの間に徳島県内最高齢者になられている可能性のある長寿者 →井上カツ 1884.9.1 - 1987.9.1+:那賀川町 (日本百歳人名鑑1987年版、298頁) 高知県> 松本善義 1878.2.22生まれ 次代は三宮嘉一さんで確定 (日本百歳人名鑑1983年版、292頁) RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - takeoinishie - 09-19-2018 (09-19-2018, 18:33)R.T. :私が読売新聞で確認した時、"松本喜義"と記載されていたと思いますが、日本百歳人名鑑では"松本善義"と書かれていましたか?(09-14-2018, 23:12)R.T. : 山梨県> RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - R.T. - 09-19-2018 (09-19-2018, 18:40)takeoinishie :(09-19-2018, 18:33)R.T. :私が読売新聞で確認した時、"松本喜義"と記載されていたと思いますが、日本百歳人名鑑では"松本善義"と書かれていましたか?(09-14-2018, 23:12)R.T. : 山梨県> 松本さんの名前は、もしかしたら私が記載ミスをしているかもしれません。後日、日本百歳人名鑑を再確認してこようと思います。 RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - 名無し - 09-19-2018 伊藤幾久寿さん(1853年2月17日(旧暦?)生まれ) 1952年1月4日読売新聞朝刊 茶道裏千家家元、千宗室夫人嘉代子の母親 http://imgur.com/gallery/Pi2u4rx 大野志満さん(1852年12月生まれ) 1954年9月15日読売新聞 http://imgur.com/gallery/8gmaqkJ 加藤寿恵さん(1856年7月7日生まれ) 1955年9月10日読売新聞 http://imgur.com/gallery/ZUcD08b 椿リカさん(1864年10月13日生まれ) 1969年9月16日読売新聞 http://imgur.com/gallery/gx3x3nF RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - takeoinishie - 09-20-2018 徳島県> ・笹木ミツヱ(記事中では"笹木ミツエ"と表記) 1987年12月20日没(読売新聞、徳島県版、1987年12月22日付、17頁、「103歳最長寿 笹木ミツエさん死去」)(次代は藤井ハギノ氏) "笹木さんの死去で、最長寿者は百三歳の鴨島町牛島、藤井ハギノさんになった。" 高知県> ・松本喜義 1983年8月22日没(読売新聞、高知版、1983年8月25日付、16頁、「県下で最高齢者 松本喜義氏死去」) 熊本県> ・田上タメ 1977年6月7日以前没(読売新聞、熊本版、1977年6月7日付、14頁、「102歳おめでとう 本渡の山形クニさん 「まだまだ長生き」」) "県下の最長寿者は、宇土郡不知火町出身で下益城郡松橋町の特別養護老人ホーム「不知火荘」に入●している百五歳の宮田トカさん。"(●は判読不能文字) 以上の方々の他に、読売新聞にて、高辻シゲ氏(福岡)、柳川ヨリ氏(福岡)、戸田イト氏(福岡)、仲宗根トメ氏(福岡)の訃報記事を調査しましたが、見つかりませんでした。 RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - takeoinishie - 09-20-2018 >> 茨城(飯村ため氏の訃報記事発見に伴い、同氏を削除)、山梨(島村うらの氏の訃報記事発見に伴い、同氏を削除)、福岡(仲宗根トメ氏を追加、高辻シゲ氏、柳川ヨリ氏、戸田イト氏の項目に備考を追記)、熊本(田上タメ氏の項目に備考を追記)の調査状況を更新しました。 RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - アオミドロ - 09-21-2018 静岡県 堀池喜重郎さんの次代は島村せきさん(次代は根上きうさん) (静岡県立図書館より) 『毎日新聞(県内地区版 マイクロフィルム)』の1977(昭和52)年12月15日朝刊の第16面に掲載されていた「堀池喜重郎」の訃報記事に、「堀池さんの死去により、県下の最高齢者は、島村せきさん=沼津市下香貫二四二〇の一=で、明治六年十一月十二日生まれの百四歳。」と記述されていました。 『中日新聞(静岡版 マイクロフィルム)』の1977(昭和52)年12月15日朝刊の第11面に掲載されていた「堀池喜重郎」の訃報記事に、「堀池さんの死去で、県下の最高齢者は、沼津市下香貫大久保二四二〇ノ一、島村せきさん(百四歳)=明治六年十一月十二日生まれ=となった。」と記述されていました。 補足事項 「島村せき」が亡くなった年月日は不明ですが、『毎日新聞(県内地区版 マイクロフィルム)』の1978(昭和53)年9月13日朝刊の第21面に静岡県内の100歳以上の高齢者の氏名一覧が掲載されており、そこには「島村せき」の氏名はありませんでした。さらに、記事本文には「県内最高齢者は百四歳の根上きうさん(三島市大宮町一の八の二二)と有泉いまさん(富士宮市元城町一〇の二)。二人は明治七年生まれで根上さんが有泉さんより二カ月余早い。」と記述されていました。 RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - R.T. - 09-22-2018 滋賀県> 笹原司馬太郎 1959年10月26日没 (京都新聞、1959年10月28日付、夕刊、第二滋賀版、12頁「笹原司馬太郎氏」) "笹原氏は男子では県下の最高齢者。"と記載されていたため、県内最高齢者ではない可能性が高いです。 中沢周吉さんの次代は大塚たけさんです。 (京都新聞、1978年11月1日付、夕刊、10頁「104歳の中沢さん(滋賀で最高齢)死去」) "中沢さんの死去で、県最高齢者は高島郡高島町音羽、大塚たけさん(一〇二)となった。" RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - アオミドロ - 09-23-2018 下野新聞より以下の情報が得られるようです ・昭和30年9月1日3面「川添さんら七名 長壽賞 長壽村は國府村に決る」に、川添亀次郎さんの生年月日 ・昭和59年11月25日3面の大川シナさんの訃報記事に、先代の最高齢者の氏名、年齢、在住の市町名、および没年月日 RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - アオミドロ - 10-04-2018 鳥取県 阿部はる 1981/11/12没 山陰中央新報 昭和56年11月13日19面「106歳長寿“中国一”阿部はるさん死去」 山内てつ 1983/4/24没 山陰中央新報 昭和58年4月26日17面「お悔やみ」 高木りうさんの先代は山内てつさん 山陰中央新報 昭和58年11月15日16面「県内最高齢103歳 高木さん死去」 RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - アオミドロ - 10-05-2018 阿部はるさんは1977年から県内最高齢 山陰中央新報 昭和56年11月13日19面 長野県 荒井うめのさんの次代は長野市の109歳の男性 信濃毎日新聞 平成21年9月22日23面「県内最高齢者110歳 荒井うめのさん死去」 -県内長寿福祉課によると、県内の最高齢者は長野市の109歳男性となった。名前は本人と家族の希望で公表していない。- 宮沢きそいさんの次代は108歳~109歳の女性 信濃毎日新聞 平成23年3月26日35面「109歳の県内最高齢者 宮沢きそいさん死去」 -健康長寿課によると、県内最高齢者は昨年9月時点で108歳の女性になった。住所と名前は本人の了解を得ていないとして公表していない。- RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - hydepark - 10-05-2018 (10-05-2018, 22:10)アオミドロ : 長野県2010年長野市では県内最高齢の110歳男性について市が4年間、所在を確認できていない。家族は「かなり前から(静岡県の)伊豆に行っている」と話しているという。 https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG03076_T00C10A8CC1000/ https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG03076_T00C10A8CC1000/ RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - アオミドロ - 10-05-2018 ああ、戸籍上だけ生きてるケースか… RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - 山田みゑ - 10-06-2018 2016年1月6日までに112歳で亡くなられた女性(愛媛南予地方?)がいたようです。 但し、2016年度の人口動態統計に112歳で亡くなられた女性は1人もいないので、詳細な情報は不明です。 http://mixi.jp/view_diary.pl?owner_id=4832012&id=1949377971 RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - 名無し - 10-08-2018 1956年9月15日 朝日新聞(千葉版)8頁「今年百二歳の岩崎爺に聴く昔の銚子」 http://imgur.com/gallery/gZE5f3f RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - R.T. - 10-12-2018 (09-19-2018, 18:56)R.T. :(09-19-2018, 18:40)takeoinishie :(09-19-2018, 18:33)R.T. :私が読売新聞で確認した時、"松本喜義"と記載されていたと思いますが、日本百歳人名鑑では"松本善義"と書かれていましたか?(09-14-2018, 23:12)R.T. : 山梨県> 松本さんの名前は、"松本喜義"が正しいです。(日本百歳人名鑑1979年版、1981年版、1983年版で確認) "善"の字は私の勘違いでした。申し訳ありません。 RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - 名無し - 10-12-2018 (10-06-2018, 19:39)山田みゑ : 2016年1月6日までに112歳で亡くなられた女性(愛媛南予地方?)がいたようです。 RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - 名無し - 10-15-2018 1960年代に鹿児島県の最高齢者であられた、尚師坊ン(たかしぼおん)さんの没年月日が判明しました。 1969年5月18日、109歳で亡くなられたと以下の2つの資料に記載がありました。 この資料を発見できて良かったと実感します。 ・ 「大島新聞」昭和44年5月20日付 「県下一の長寿死去 109歳 睡眠とよく食べる」 ・「笠利町政だより 第96号」昭和44年5月号「町の誇り!!県下の最高令者 尚師坊ンさん 百十歳を目前に永眠」 RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - takeoinishie - 10-16-2018 [quote pid='17955' dateline='1539608275'] 1960年代に鹿児島県の最高齢者であられた、尚師坊ン(たかしぼおん)さんの没年月日が判明しました。 1969年5月18日、109歳で亡くなられたと以下の2つの資料に記載がありました。 この資料を発見できて良かったと実感します。 ・ 「大島新聞」昭和44年5月20日付 「県下一の長寿死去 109歳 睡眠とよく食べる」 ・「笠利町政だより 第96号」昭和44年5月号「町の誇り!!県下の最高令者 尚師坊ンさん 百十歳を目前に永眠」 [/quote] 調査して頂き、有難うございます。地方紙等の地方でしか得られない情報は非常に貴重です。 尚師坊ン氏は1969年8月に亡くなられたと読売新聞に記述されていましたが、その記述は正しくなかった様ですね。 RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - 名無し - 10-16-2018 (10-16-2018, 09:51)takeoinishie : [quote pid='17955' dateline='1539608275'] 調査して頂き、有難うございます。地方紙等の地方でしか得られない情報は非常に貴重です。 尚師坊ン氏は1969年8月に亡くなられたと読売新聞に記述されていましたが、その記述は正しくなかった様ですね。 [/quote] いえいえ、どういたしまして! 地方紙や自治体の広報に掲載されている長寿者の情報は貴重だと感じています。そこにしか載っていない情報もある可能性がありますからね。 お役に立てたようで嬉しいです。 RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - 山田みゑ - 10-17-2018 (10-15-2018, 21:57)名無し : 1960年代に鹿児島県の最高齢者であられた、尚師坊ン(たかしぼおん)さんの没年月日が判明しました。 情報ありがとうございます! 尚師さん5月に亡くなられていたのか・・・。8月に亡くなったと思っていただけに以外な結果になりましたね。 大島新聞と広報誌が閲覧出来るということは、名無しさんは鹿児島県在住の方でしょうか? 同新聞は国会図書館関西館では閲覧出来ませんので、大変ありがたいです。 RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - 名無し - 10-17-2018 (10-17-2018, 00:45)山田みゑ :どういたしまして!(10-15-2018, 21:57)名無し : 1960年代に鹿児島県の最高齢者であられた、尚師坊ン(たかしぼおん)さんの没年月日が判明しました。 私は東日本在住ですが、鹿児島県の図書館にレファレンスを依頼してこの資料に辿り着きました。 尚師さんの没年月日が記載されている資料があると分かった瞬間、何物にも代えがたい喜びを感じたと思います。 長寿者の方に興味がある者にとって、お目当ての資料を見つけたときは嬉しくなりますね。 RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - 名無し - 10-19-2018 廿日出徳三郎さんの没年月日が判明しました。 『中国新聞』昭和35(1960)年12月1日p.6「百七歳で大往生 県下最高齢の廿日出さん」に、「二十九日午後五時(略)老衰のため死亡した。」とあります。 廿日出さんが1960年11月29日に107歳で亡くなられた事がわかりました。 RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - 名無し - 10-19-2018 [quote pid='17993' dateline='1539920704'] 廿日出徳三郎さんの没年月日が判明しました。 『中国新聞』昭和35(1960)年12月1日p.6「百七歳で大往生 県下最高齢の廿日出さん」に、「二十九日午後五時(略)老衰のため死亡した。」とあります。 廿日出さんが1960年11月29日に107歳で亡くなられた事がわかりました。 [/quote] ちなみに廿日出さんの顔写真は掲載されていなかったそうです。 RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - 山田みゑ - 10-19-2018 (10-19-2018, 12:45)名無し : 廿日出徳三郎さんの没年月日が判明しました。 うおお!情報頂きありがとうございます! まさか廿日出さんの訃報が掲載されていたとは思いませんでした! 生年月日さえ分かれば詳細な年齢が判明するのですが、中国新聞に掲載されていましたでしょうか? RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - 名無し - 10-19-2018 1950年代後半の千葉県最高齢者であられた、岩崎寅松さんの没年月日の資料の調査を千葉県の図書館に依頼していましたが、下記の回答がありました。 『東日本新聞』1959(昭和34)年11月25日付け 第668号 1面 「岩崎寅松さん死去」の記事に、「二十二日午前七時頃老衰のため死去」「安政元年八月十五日生れの百五才であった。(原文のまま)」とありました。 岩崎さんが1959年11月22日に105歳で亡くなられたと分かりました。 記事のコピーは後1週間ほどして届く予定ですので、その時にその画像を貼る予定です。 RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - アオミドロ - 10-19-2018 >>559 川添亀次郎さんは嘉永6年4月10日生まれ 大川シナさんの先代は、手塚シナさんではなく浅海ハナさんとのこと RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - 名無し - 10-22-2018 (10-19-2018, 12:57)山田みゑ :廿日出さんの生年月日は、今回は広島県の図書館に調査を依頼していませんでした。(10-19-2018, 12:45)名無し : 廿日出徳三郎さんの没年月日が判明しました。 時間があれば、生年月日が記載の資料があるか調査を依頼したいと考えています。 RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - 名無し - 10-22-2018 有郷きくさんの没年月日が[b]1964年6月13日だと判明しました。[/b] 『広報おおくち(大口市政の広場)』の昭和39年7月1日号の2面に、有郷きくさんが6月13日に亡くなったという記載がありました。 http://imgur.com/gallery/6i2wa1g RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - アオミドロ - 10-30-2018 >198 1956年度の岐阜県最高齢は新井ともさん? 岐阜タイムス9月15日東海夕刊3頁より、「百歳以上の吉城郡上宝村葛山新井ともさんら3名に羽二重の座ぶとんを贈った」 RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - 名無し - 10-30-2018 1950年代に大阪府最高齢者であった桜井かめさんの没年月日が判明しました。 没年月日記載の資料を大阪府の図書館に調査依頼していましたが、以下の通り回答がありました。 朝日新聞の大阪地域版を集めた次のマイクロフィルムを確認しましたところ、お調べの記事が見つかりました。 ・『朝日新聞(大阪)マイクロ版 昭和31年1月~4月』(朝日新聞大阪本社 1956.1-1956.4)【F大朝/地方版/S31(1)】 朝日新聞の大阪地方版(地域面)のみを集めた資料(マイクロフィルム)です。 昭和31年1月9日(月)のp.8に、「百四歳の一生 桜井かめさん静かにねむる」との見出しの記事が掲載されており、次の記述がありました。 「府内でいちばんの年寄りだった都島区友淵町桜井かめさんが七日午前二時、百四年十カ月の一生を静かに閉じた。(中略)嘉永四年三月二日の生れ。」 このマイクロフィルムには泉州版、河内版、摂津版、市内版の地域面が収録されていますが、1月9日についてはこれら4つの版共通の紙面のようです。 よって、桜井かめさんが1956年1月7日に104歳で亡くなられたことが分かりました。 RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - 名無し - 11-02-2018 岩崎寅松さん訃報記事 東日本新聞1959年11月25日付1頁「岩崎寅松さん死去」 RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - 山田みゑ - 11-10-2018 久々に国会図書館関西館に来館し、以下の長寿者の訃報記事について調査してみようと思います。 ■南日本新聞 上原たんめ 鹿児島県 徳之島町 1980/3/?? 西田ウシ 鹿児島県 与論町 1981/1/?? 鹿子木初袈裟 鹿児島県 川内市 1982/4/?? 寿とんかな 鹿児島県 徳之島町 1982/3/?? 早水ツル 鹿児島県 阿久根市 1985/3/?? RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - 山田みゑ - 11-10-2018 本日国会図書館関西館に来館し、長寿者の訃報記事を調査しましたので報告いたします。 ■鹿児島県 早水ツル 1985年3月2日没 南日本新聞、朝刊、1985.3.3、15頁、「107歳、九州2番目の長寿者 早水ツルさん死去」 西田ウシ 1981.1.1 - 31まで閲覧。地方面(最高齢者の訃報が掲載されていたため)と社会面を重点的に調査したが、訃報記事見つからず。 早水さんの訃報がようやく見つかったのが今回の大きな報酬です。 他の長寿者の訃報も調べたかったのですが、時間の都合で出来ませんでした。 RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - 名無し - 11-11-2018 桜井かめさんの訃報記事 朝日新聞(大阪版)昭和31年1月9日(月)付け 「百四歳の一生 桜井かめさん静かにねむる」 http://imgur.com/gallery/AXQ4B48 RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - 名無し - 11-11-2018 西村タキさんの没年月日記載の資料を大阪府の図書館に調査依頼していましたが、以下の通り回答がありました。 次の資料にお探しの訃報が掲載されていました。 ・『広報縮刷版 第1巻』(枚方市 1971)【む/241#】 昭和25年度から昭和45年度までの枚方市の広報(この間に「枚方市公報」→「枚方市民時報」→「広報ひらかた」とタイトルが変更されています)が収録されています。 昭和35年9月から昭和36年9月までの記事について、見出しを中心に確認したところ、次の記事が見つかりました。 「枚方市民時報 第122号」(昭和36年6月10日)p.1(縮刷版のp.189) 「百三才の生涯閉じる 津田の西村さん」との見出しで、次の記述があります。 「府下最高齢者で、枚方市名誉市民の西村タキさん(津田)が、5月18日午後1時老衰で亡くなられました。安政4年5月26日生まれといいますから、ことしで百三才(後略)」 RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - hydepark - 11-17-2018 大洲市の最高齢者は徳森の内田カンさんで、明治十二年一月生まれの百五歳です。内田さんは愛媛県の最高齢者でもあります。。 https://www.city.ozu.ehime.jp/uploaded/attachment/20967.pdf (4) RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - R.T. - 12-04-2018 (11-17-2018, 16:35)hydepark : 大洲市の最高齢者は徳森の内田カンさんで、明治十二年一月生まれの百五歳です。内田さんは愛媛県の最高齢者でもあります。。 内田カン 1879年1月12日生まれ、次代は加地ハツさん (日本百歳人名鑑、1983年版、289頁) 1985年版には記載なし、また同版の”昭和五十八年度物故者一覧”(1983年9月1日~1984年9月1日の間に死去した100歳以上のリスト)に 同氏の記載が確認されたため、内田カンさんは1984年7月19日~9月1日の間に亡くなられたと思われます。 RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - R.T. - 12-18-2018 愛媛県の最高齢者を確認し直したところ、坂本マサさんと吉岡ヤスさんの間に高橋多三郎さん(伊予三島市、1878年11月25日生まれ)という男性がいました。(日本百歳人名鑑1983年版、289頁) 人口動態より、この方は1984年没なので、愛媛県内最高齢者になられていることが確実です。 RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - 山田みゑ - 12-22-2018 ■高知県 森本勘次 1972年11月没 RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - R.T. - 01-12-2019 大阪府> 稲葉雪枝 1964年1月5日時点でご存命 (朝日新聞、1964年1月5日付、朝刊、大阪版、16頁「府下最高齢者の お正月」) RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - takeoinishie - 02-12-2019 >> 岩崎寅松氏(千葉)、西村タキ氏(大阪)、廿日出徳三郎氏(広島)の没年月日判明に伴い、削除しました。 RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - hydepark - 02-13-2019 1985年1月『オキナワグラフ』「長寿沖縄一 本部町の長濱孫四郎さん(106歳)」 http://ryubun21.net/index.php?catid=3&blogid=1&archive=2012-10 RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - takeoinishie - 02-13-2019 愛媛県> ・高橋多三郎 1984年1月11日没(読売新聞、愛媛版、1984年1月12日付、14頁、「県の最高齢者 105歳・高橋さん死去」) ・内田カン 1984年8月25日没(読売新聞、愛媛版、1984年8月27日付、16頁、「105歳県下最高齢者 内田カンさん死去」) 上記の他に、森本勘次氏(高知)、清水ヨキ氏(島根)、坂本マサ氏(愛媛)に関して調査しましたが、訃報記事は確認出来ませんでした。 RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - アオミドロ - 02-16-2019 >>593 長濱さんの生年月日は1879/6/6 ただし「実際はそれより半年も古く明治十ニ年一月生まれだと話していた」とのこと RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - R.T. - 02-16-2019 (02-16-2019, 00:50)アオミドロ : >>593 日本百歳人名鑑1985年版317頁、1987年版432頁では1879年6月5日生まれと記載されていました。 また1987年版同頁は"昭和五十九年度物故者名簿"(1984年9月~1985年8月の間に100歳以上で亡くなられた長寿者の一覧)のため、 戸籍上は宮城ウシさん(1879.3.3 - 1986.3.?)の記録は越えていませんでした。 RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - takeoinishie - 03-23-2019 読売新聞にて、田中わいね氏(兵庫)の訃報記事を調査しましたが、見つかりませんでした。 RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - R.T. - 04-05-2019 大阪府> 山崎こふさ 1966年6月18日時点で府内最高齢者 (朝日新聞、1966年6月18日付、朝刊、大阪版、16頁「府下の男の最高齢者 枚岡の岡部さん死ぬ」) "…府の調べでは、府下の最高齢者は東住吉区に住む百歳の山崎こふささんである。" 兵庫県> 杉原ミツヨ 1968年1月3日没 (朝日新聞、1968年1月5日付、朝刊、大阪版、15頁「百四歳の老女死ぬ 兵庫県最高齢者」) RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - 名無し - 04-05-2019 臼山五郎さんの没年月日記載の資料を鹿児島県図書館に調査依頼しておりましたが、下記の通り回答がありました。 御依頼のありました,1960年代に田代町在住だった臼山五郎さんの没年月日記載の 資料について,次のとおり回答します。 御依頼の記載があった資料は次のとおりです。 ①南日本新聞 昭和42(1967)年2月11日 8面 「最年長の臼山さん死ぬ」の見出しで記事があります。記事には「臼山五郎さん (106)が,九日午前亡くなった。臼山さんは文久元年四月五日生まれで・・・」と 記述があります。 よって、臼山さんが1967年2月9日に亡くなられたことが判明しました。 RE: 昭和戦後期(1945-1989)の日本人長寿者 - 名無し - 04-06-2019 宮城県図書館に調査依頼していた、伊藤幾久寿さんの没年月日が以下の通り判明しました。 1 伊藤幾久寿の没年月日について 下記資料に記載があります。 資料1 宮城県史編纂委員会編『宮城県史 29』宮城県史刊行会, 1986【K201/ミ 1/29】 「女性篇」―「銘銘伝」の項 p.291.「伊藤幾久寿 (昭和二十六年十二月二十九日没)」 資料2 菊地勝之助『宮城県郷土史年表』宝文堂出版販売, 1972【K200.3/キ1-4 】 p.553.「一九五一(昭和二六)」の「人物・其他」の項 「茶道家/伊藤幾久寿(九九)/(二六・一二・二九)」 なお,p.17の「例言」に「人物・其他の欄には,郷土関係の主な史的人物名並 びにその在世中の職名・事業や没年月日・享年等を各年次の下に記載した。」 との記述があります。 よって、伊藤さんが1951年12月29日に亡くなられたことが判明しました。 |